ムーミン展

2019年は、日本とフィンランドの国交が樹立されて100周年となる年です。それを記念した催しとして、東京・森アーツセンターギャラリーで幕を開けた「ムーミン展」。ムーミン・キャラクターズ社やムーミン美術館の協力のもと、今までにないスケールのコレクションが展示されています。トーベ・ヤンソンが描いた当時のスケッチや原画をはじめ、立体的なフィギュア・模型まで、その総展示数はおよそ500点にのぼります。

フィンランドと国交を結んだ当時、およそ100年前というと、はるか遠いことに感じられます。それから長い月日が流れ、時代の流れも大きく変わった今では、フィンランドの人々の暮らし方や、物事をとらえる考え方に、ここ日本でも、身近に触れる機会が大変多くなってきました。そして、彼らが慈しむ自然、そのなかで日々を楽しもうとする姿勢に、私たちはたくさんの魅力を感じてきました。けれど、私たちがきっと初めに触れた「フィンランド」といえば、皆さんはまずどんなこと・ものを思い浮かべるでしょうか?
私はほかでもない、ムーミンの物語を思い浮かべます。ふんわりと白く丸いフォルムに、可愛らしいしっぽをもつ不思議な生きもの。そして一家を囲む、個性的で、たまに不気味なキャラクターたち。子どものように感情ゆたかでありながら、ときに大人びた言葉を呟いてみたり、そうかと思えば言葉さえ発しない謎の生き物が登場したり…。
ムーミン谷にあらわれる様々な生きものたちは、日本のアニメキャラクターとは少し違った印象を与えてくれました。まるで、遠く離れたフィンランドの澄んだ空気を身にまとっているようで、観るたびにその不思議な世界、ムーミン谷の世界に包み込まれていきました。子どものころに出会った彼らは、私にとって初めて触れたフィンランドの文化だったのです。

刊行されているムーミンの物語は全9巻。「ムーミン展」では、物語の刊行順に沿うかたちで展示スペースが構成されており、物語のはじまりから、日本をはじめとする世界中で巻き起こったムーミンブーム、そしてトーベ作品の派生まで、様々な角度からムーミン一家、そしてトーベ・ヤンソンという人物そのものを知ることができます。

展覧会のメッセージのなかで、ムーミン谷の物語は「大河小説」であるという紹介がされていることには頷きました。トーベ・ヤンソンがムーミンの物語の執筆を始めた当初は、第二次世界対戦のまっただ中。その暗く重苦しい時代に、トーベがムーミンの物語をつくりだしたことは、それが「大河小説」であるために、とても大きな意味を持っているからです。
家族や友情のなかで生まれるものは、ただ喜ばしいことだけではありません。トーベが経験した長い戦争のように、ときには自分たちの力が及ばないように思われる、恐ろしく、つらい試練も訪れる。しかし、永遠に続くように感じられる困難や悲しみを乗り越えることは、決して一人の力では成し遂げることはできないのです。
家族や友人の存在は、常にひらかれた存在としてトーベのそばにありました。あたりまえのように存在しているけれど、そのあたたかさにどれほど気づき、彼ら一人ひとりを尊重し、どれほど大切に思えるかということは、人生という大河を進んでいくうえでとても重要なことです。
トーベの人生そのものが映し出され、始まったムーミンの物語が、今では世界中の人々に愛されているというのは、なんと祝福されるべきことでしょうか。

今回の「ムーミン展」では、トーベ・ヤンソンが描いた実際のスケッチが、群を抜いて多く展示されています。それぞれに込められた微細な筆づかいは、立ち止まってしばらく見入ってしまうほどで、当時のトーベの息遣いをそばで感じられるようです。
小さなちいさなムーミントロールのスケッチがみせる可愛らしさは、言葉に表せないほど!訪れた人々からも、至るところで次々に感嘆の声があがっていました。
ムーミントロールの表情は、一見単純で、簡単に描けてしまいそうにも思えます。けれど、トーベの残したスケッチや、そこから生み出された原画の数々を眺めているうち、様々な表情の一つひとつをここまで書き分け、巧みに表現することができるのかと、本当に驚きました。
ムーミントロールに限らず、トーベの描き出すキャラクターたちは皆、まるで今にも動き出し、おしゃべりを始めるかのようです。喜びや悲しみ、ときには怒りまで…単なる物語の挿し絵としてだけでなく、物語を手に取った読者の心に寄り添うように、彼女は何度も試行錯誤を重ねていたことを知りました。何度も書き直して、ときには修正ペンで塗りつぶして…。キャラクターの可愛らしさだけに留まらず、彼らを生み出したトーベの「芸術家」としての姿まで感じられる展示は、ぜひ時間をかけて、細部までゆっくりと味わいたいものです。ムーミントロールのはじまりとなった、トーベの落書きは必見ですよ。

そして、トーベ・ヤンソンその人にフォーカスした展示は、「ムーミン展」をより深く心に印象づけるものとなっています。
トーベは、彫刻家の父と挿絵画家の母のもとに生まれた、いわゆる芸術一家の娘でした。彼女が手がけた水彩画や風刺画の展示作品は、画家になるという夢を抱いてから、ムーミントロールを誕生させるまでの軌跡をたどっています。また、作品に込められた彼女のユーモアは、ムーミンの物語に通ずるものを感じさせます。作品のなかにこっそりと登場するムーミントロールを探せば、その何とも言えない表情にクスっと笑ってしまうかもしれません。

トーベ・ヤンソンに焦点をあてた展示ゾーンのなかで忘れられないのは、花冠を身につけてこちらに微笑む彼女の写真です。澄んだ青と色とりどりの花々のコントラストは瑞々しく、とても美しい写真でした。
トーベは、静かで穏やかな自然に囲まれた暮らしを生涯愛し続けました。海風が吹く小さな小屋、夏がみせる色鮮やかな景色。あたたかい木彫のアトリエ。彼女の過ごした日々を切り取った多くの写真は、その暮らしがムーミン谷の物語に与えた影響の大きさを感じ取ることができるものとなっています。

最後に、今回の展覧会をさらに特別なものとしているのが、トーベ・ヤンソンと日本との関わりに触れた展示が用意されていること。見慣れた日本の風景のなかでトーベがカメラに向き合う写真はとても印象的ですし、ムーミン谷の情景と、日本の浮世絵を見事に融合させたトーベの好奇心、創造力には驚かされるばかり…。彼女の作品に秘められた芸術性の奥深さを、多様な角度からうかがい知ることができます。そして私たちの目線により近く、日本という視点から彼女の作品を考察してみると、また違った印象を心に残すことが分かります。

私たちにより近い目線から、ムーミンの物語、そしてトーベについて眺めることができる多くの展示はきっと、日本とフィンランド、両国の人々のあたたかな愛情に支えられていることでしょう。今回の「ムーミン展」は、国交樹立100周年を記念した催しとしてだけでなく、人々に愛されるムーミン谷の物語を通じて、それがこれからも末永く続いていくことを予感させてくれます。
ムーミン谷に暮らす彼らのように、皆で支え合って、困難を乗り越えていけるように。あたたかい心で、手を差し伸べることを忘れないように。そして、穏やかで平和な日々がずっと続くように。きっと誰の心にも、帰り道のどこかで、日々の何気ない瞬間で、ふと思い出す作品に出会えるでしょう。「ムーミン展」、ぜひ足を運んでみてください。